僕の育児

フリーライターのパパが書く育児ブログ

形無き日本の父親像。理想の父親はイクメンで良いのか?

 奥さんと息子が実家に行ってしまってネタが無いので、今日は「父親」について考えてみたいと思います。(ケンカの方は何とか仲直りできました!)

 父親になって2ヶ月とちょっとが過ぎました。父親にはなったんですが「どのような父親になるべきか」「どんな父親になりたいか」ということについては、まだ当を得ていません。

私の父親像と最近の父親像

 私の父親は、私が大学4年生の時に大腸がんで亡くなりました。昭和の頑固親父を絵に書いたような人で、休みの日には家で寝転がってテレビばかり見ていました。私の記憶では父親と1度も公園で遊んだことはありません。というか家族でお出かけなんてしたことがなかったですね。私の家庭では父親という存在は圧倒的な「不在」でした。

 今の時代の父親像ってどんなものでしょうか?分かりやすいのはテレビドラマだと思います。テレビドラマは世相を反映したものが多いですからね。そんな視点で見てみると、昨今のドラマにおける父親の「欠落感」は相当なものを感じます。

 少し前までは仕事でくたびれた透明人間みたいな描かれ方でしたが、最近はフレンドリーな透明人間といった感じでしょうか。娘や妻に馬鹿にされてもニコニコ。ゴルフの素振りなんてしちゃってたりします。その不在感をいいことに、主人公にはもともと父親がいない設定のドラマも多く、話の間がもたなくなったところで急に出てきたりすることもあります。

 ママの言うことを聞く、子どもにフレンドリーな父親。これが今の日本の父親像なのでしょうか。なるほど、そんな特徴のない人物ではドラマで透明人間になるのも分かります。確かに平成も28年が経つのに小林亜星よろしく、ちゃぶ台なんてひっくり返そうものならテレビ局の電話は鳴り止まないでしょう。そういう時代なのかもしれません。

現代の父親像に一石を投じたドラマ

 そんな透明人間な父親ばかりの中で、TBSの『流星ワゴン』は一石を投じたものだったと思います。香川照之が演じる「チュウさん」は昭和を絵に書いたような破天荒な父親。それに対して主人公の西島秀俊は平成を絵に書いたような透明人間オヤジ。そんな2人がケンカをしながらだんだんと分かり合っていく物語は、とても見応えがあったと思います。

 ただ流星ワゴンの物語は、世の中の女性(特に主婦の方)には到底受け入れられるはずもありませんでした。だって平成の透明人間オヤジが、だんだん昭和のオヤジに変わっていくんですからね。チュウさんに尽くす人生を選んだ奥さん(主人公の母親)に共感できる人はほとんどいなかったでしょう。

 こんな風に流星ワゴンについて熱く語ってしまうのは多分、私が何かしら「昭和のオヤジ的な生き方」に憧れる部分があるからなのかもしれません。決して器用ではないけれど、人情に厚く、背中で語る生き様をどこかカッコ良いものとして思っているのかも。

 世間ではイクメンやらカジメンやら、都合の良い言葉が次々に登場し、父親は仕事から帰っても休んでなどいられないようです。透明人間からクッキングパパへ。そういえばクッキングパパは「料理ができることを同僚に隠している」という設定があったと思うのですが、今の時代では完全に意味がないものになってしまいましたね。読んでませんが今ではその設定はクリアになっていることでしょう。

 頑固親父にしろイクメンにしろ、それらはひと言で言えば「時代」であり、良い悪いとは違うのだと思います。ただ自分の息子に対して、オヤジとしてどうありたいかと考えたとき、「やっぱりオヤジはすげーな」と思ってもらえるような人でありたいと思います。

 そのためにはどう生きれば良いのか。模索の旅はまだまだ続きそうです。